まだ支援節のこない被災地

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

130119kago

うさ友さんのシュウママさんのブログで、
震災復興のボランティア活動をしている
団体が物資等を募集していると書いて
ありました。

 

(シュウママさんというのは、うさぎの
シュウちゃんのお母さんのことです)

 

その団体「Power of JAPAN」のホーム
ページを見ると一口に被災地といっても
支援物資が届いているところとない
ところの差が激しいようです。

 

TVで写るところはいつも同じで、
そこは物資も潤っているそうです。

 

ところが、震災後半年経って初めて
支援物資がきたというところ、あるいは
9か月経って、10か月経って…..
というように支援物資、炊き出しが
全くないところもあるのだとか。

 

そのグループの代表の方は、1月11日
に南相馬に行ったそうですが、

 

「今度、炊き出しをします」
と言ったら、今まで一度も炊き出しの
経験がないので、「おむすびを
頂けるんですか?」と聞かれたそうです。

 

「ビュッフェ式で」
と説明すると
「いつですか」「いつですか?」
と本当に嬉しそうにしていらした
ということです。

 

その日はマイナス3度という寒さ
だったのに、その避難所は畳もなく
薄いカーペットが一枚だけ。

 

犬を連れて逃げるのが精一杯で、
着替えも持たずにきてしまったので
着替えがないので着るものが頂けたら
…..という方もいるそうです。

 

下着以外は、新品でなくてもよい
ということです。
わざわざ買ってということでは
なく、御家庭にあるものをと
書いてありました。

 

震災から一年近くの時が経ち
ましたが、本当にまだまだ
大変なところで暮らしている方
は多いようです。

 

 

スポンサードリンク




花びら餅(菱葩ーひしはなびら) 赤坂「青野」

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

 

hanabiramotiakasakaaono

 

 

今日のお菓子は、私の大好きな
花びら餅(菱葩ーひしはなびら)です。

 

大好きなのですが、いつもは
食べることができません。
お正月のお菓子ですので。

 

真ん中に横一本に見えるのは、ゴボウです。
ゴボウのあくの強さは消えていて、
独特の味は残っている個性的なお菓子。

 

赤坂「青野」でこの花びら餅を
買う時に、「今年は今日で終わりです」
といわれました。

 

あ~、よかった間にあって。
たしか、去年1月15日に買いにいったら、
もう終わっていたような気もします。

 

お茶碗は、今日はローゼンタール
〈魔笛〉ではありません。
お菓子の方は例の如く、ザラストロ・ゴールド
のコーヒーカップ用のソーサーです。

 

いつでも買うことができない
お正月だけのお菓子。

 

ちょっと残念ですが、また
それも楽しみな気もしますね。

 

 

 

スポンサードリンク




昨年初めて知りました「ハービー山口」

「あぷりのお茶会」へようこそ!

 

130504bach
いつどのようにして知ったのかは定かではないのですが、
ハービー山口さんが病気の子ども時代を過ごされた
ということは以前から知っていました。

 

しかし、その原因がなんだったかということについては、
昨年ハービーさんが書いたものを読んで初めて知りました。

 

ハービーさんがお生まれになった時に結核だったお父様は、
お医者さんから
「感染の可能性があるので赤ちゃんを抱っこしないほうが
いいですよ」
といわれていたそうです。

 

それでもお父様は、可愛いハービーさんを抱っこせずには
いられなかったのでしょう。

 

そして2ヶ月後、ハービーさんはカリエスを発症しました。
腰が痛くて立ち上がることも出来ない赤ちゃんを、コルセット
をしてじっとしているだけの子どもを見ているお父様の
気持ちは……。

 

そのお父様はハービーさんがロンドンにいらした32歳の
時に、66歳で亡くなっています。

 

ハービーさんの最初の個展も、御覧になっていないと
いうことです。

 

ハービー山口さんの産まれた時のお名前は「ハービー」さん
ではなく、「芳則」さんです。

 

病気が治った頃に、本名の「芳則」という名前は病気と一緒に
過去のものにして、拾いものの残りの人生を「ハービー山口」
として生きていこうと決めたそうです。

 

その名前に、過去とは真逆な「夢があって、友達がいて、健康で、
笑顔がある人生……」を託したのだとか。

 

「ハービー」という名前は、お友達とバンドをしていた時の
彼のニックネーム。
アメリカのジャズ、フルート奏者「ハービーマン」からきています。
写真を始める時に思ったそうです。
人が、人を好きになる様な写真を撮りたいと。

 

そうすれば社会は少しは優しくなって、僕の様な落ちこぼれの
人間でも生きていける隙間が社会に出来るのではないかと。

 

ハービーさんの優しいまなざしは、子ども時代の全てを
ベッドの上で過ごした悲しさを、人を思う優しさに
変えているからなのでしょう。

 

そう、まなざしといえばここだけの話ですが、
初めて私が出会った頃のハービーさんは、立川談志に
ちょっとだけ似ていました。
現在は違いますが。

 

最後に、ハービーさんがお父様に語りかけている言葉を
御紹介しましょう。

 

「確かに病気になったことで僕は随分みじめな思いをしたけれど、
父さんを一度だって恨んだことなんてなかったよ。
だってね、病気のお陰で、
僕は人の優しい写真が撮れる様になったんだ」

 

スポンサードリンク